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2024/04/04

釈迦降誕図について

お釈迦様の誕生を祝って4月8日前後に行われる法要やお祭りを「灌仏会(かんぶつえ)」「仏生会(ぶっしょうえ)」「降誕会(ごうたんえ)」といいます。
灌仏会では、甘茶を誕生仏にかけたり、参拝者に振舞ったりします。これはお釈迦様がお生まれになった際に九頭の龍が露(=天から高徳な者に降り注がれる露)を注いだ、という話に因んだものです。
また、灌仏会は「花まつり」としても知られていますが、この「花まつり」という呼称は明治期に始まったものといわれており、ちょうど花の咲く時期であることや、お釈迦様のお生まれになったルンビニの花園を模して花御堂が飾られることから使われるようになった名前のようです。



本昌寺では、毎年この時期に「降誕図」を公開していますが、降誕図にも、ルンビニの花園や九頭の龍が露を降らす様子が描かれていますので、探してみてください。(見えにく方は画面を拡大してご覧ください。)


*降誕図にはお釈迦様が何人もいる!? *

お釈迦様の誕生というと、“自ら七歩進んで天と地を指さし「天上天下唯我独尊」とおっしゃった“ というエピソードが良く知られていますが、降誕図では、その前後の出来事を含めた様々な瑞相(めでたいことの前兆として起こる不思議な現象)が描かれています。その内容は複数の経典に書かれた内容に基づいており、いくつかの場面を同時に描く “異時同図法” を用いているため、お釈迦様や母親の摩耶夫人などの同一人物が、 1 枚の絵の複数個所に登場する点が特徴的です。
また、周囲で起こった瑞相を描くことを主眼にしており、主役であるお釈迦様の姿は意外と小さく描かれていたりします。

※天上天下唯我独尊…「この世で唯(た)だ自分のみが尊い」という意味です。これは “お釈迦様が尊い” というだけではなく、”この世に生まれた私たち一人ひとりが、ただそのままで尊く、かけがえのない存在である” とも解釈できます。

*降誕図に描かれているもの*

内容を一部抜粋すると、次のようなものがあります。



①摩耶夫人(お釈迦様の母)が雲母の宝車に乗り、庭園の見物に出かけたところ、国土が震えた。四天王が夫人の乗る車を引き、梵王が道案内をし、無憂樹(ムユウジュ)の下まで行った。

②諸天が花を散ずると、無憂樹の枝が自然に曲がり下がって来たので、夫人が右手で枝を捕まえ花を折ろうとなさると、釈迦が右側の脇腹からお生まれになり、大きな智慧の光明を放ち十方世界を照らした。すると、大きい七宝の蓮華が現れ釈迦を受けとめた。

③釈迦は自ら七歩進んで右手で天を指し、左手で地を指さし「天上天下唯我独尊」と宣言した。

④四天王が店の綿で抱き上げて金の机の上に乗せ、帝釈天は蓋をかざし、梵天は白払を持ち両脇に立った。帝釈天と梵王は数々の香を雨降らせ、九頭の龍は香水を降らせて釈迦に注いだ。その左の水は温かく、右側の水は冷たかった。

⑤その時中国では周の昭王が在位していたが、4月8日に、川と井戸の水がみな溢れ、山や宮殿が震動しいつもの星が昇ることなく五色の光が太微宮を貫き西方が一面に青紅色となった。昭王が群臣に尋ねたところ、太史の蘇由が「西方に聖人がお生まれになりました。この後千年がたちますと、その法がこの地にも伝わって参ることでしょう」と申しあげた。一切の天、人もみな集まり讃嘆して「早く仏にお成りになり、衆生を済渡してください」と言った。

⑥ただ魔王だけは、安らかに座っていられずに、やきもきした。

⑦四つの泉が湧き上がり、その水は八功徳水(8種の優れた性質をもつ水)であった 

⑧地中から宝物が自然に湧き出した。

⑨白象が園の前庭に来て屈みこみ、宮中では自然にあらゆる種類のご馳走が現れて、飢えた人々を救済した。

また、本昌寺の降誕図は、涅槃図同様、お題目が書かれています。




裏側です。元禄3年(1690年五代徳川将軍綱吉さんの時代です)


本昌寺の降誕図は、例年4月頃に本堂で公開しています。
(具体的な公開時期はお寺にお問い合わせください)

*ちなみに、涅槃図を仕舞う前に降誕図と両方を見れる時が1週間くらいあります。(4月上旬)
(ディズニーランドもハロウィンとクリスマスの装飾が同時に見れる時期があると聞いたことがあります。(本当かどうかは知りません。笑))










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