コラム
2020/08/01
八幡大菩薩
八幡大菩薩 (はちまんだいぼさつ)
古くは農耕神とされていましたが、 豊前の国(ぶぜんのくに)(大分県)宇佐に祭られてから付近に産する銅産の神とされました。
奈良時代の東大寺大仏造立の時、その銅産神としての性格から大仏造立を助けたとされ、 奈良の手向山に祭られました。 このことから仏教との関係を深め、また国家的神格として広い信仰を集めるようになり、 託宣神としても知られました。
平安初期、朝廷から大菩薩号を贈られ、神仏習合の先駆となり、 憎形八幡像なども造られました。 貞観元年(895)行教らによって山城国(京都)岩清水(いわしみず)に勧請された頃から、 応神天皇の本地は八幡大菩薩であるとの説が広まり、 朝廷から祖先神・京都守護神として崇拝されました。
その後、清和源氏などから氏神として崇められ、特に源氏の信仰を集めたことから武神的性格を帯び、 武士の守護神として弓矢八幡などが造られました。 源頼朝は鎌倉に鶴岡八幡宮を造営、八幡信仰は全国的に広まり、その御子神であるとする若宮が多く造られました。
日蓮大聖人は、この広く民族的信仰を集めていた八幡大菩薩を諸天善神の1つとし、 法華経の守護神としています。また、法華経守護の神とされる三十番神の11日の神様です。
日蓮聖人と八幡大菩薩
1271年(文永8年)9月12日、日蓮聖人は幕府や諸宗を批判したことで平頼綱(北条時宗の執事)によって捕えられ、龍ノ口刑場に護送される途中、鶴ヶ岡八幡宮にさしかかったとき、大声で「八幡大菩薩はまことの神かっ!!!」と、法華経の行者を守る役目を果たすよう叱りつけました。源氏の氏神を叱りつけたのですから、役人はびっくりして、あわてて馬を引き立てました。いよいよ首を斬ろうと、役人が刀をかまえたとたん、江ノ島の方角から不思議な光の玉が飛んできて、役人は驚いて逃げ去り、処刑が中止となりました
本昌寺の八幡大菩薩様
本昌寺境内に八幡大菩薩様をお祀りする八幡堂があります。
そこに安置される八幡大菩薩様は宝永年間に作られたもので普段は未公開です。