コラム
2020/06/08
法華経の守護神「七面大明神」について
『七面を開き、七難を払ひ、七福を授け給ふ七不思議の神の住ませ給ふゆへに七面と名付け侍るとなり。』
七面山は南アルプス連峰に属する標高 1982 メートルの豊かな自然美しい山で、古来より山岳信仰の対象となってきました。 身延山の西方に位置し、久遠寺からその頂上までは徒歩で 20 数キロメートルの道のりです。頂上付近には久遠寺境内からも見ることのできる大崩崖があり、そのことから日蓮大聖人は「なないた(七面)がれのたけ」とも言い表しています。 天候が良ければ、富士山の方向に美しい御来光を拝することができます。
身延七面山ギャラリーより
『日蓮大聖人と七面天女』
1277(建治 3)年のある日、日蓮大聖人はいつものように南部実長公をはじめとする弟子や信徒に法を説いていました。やがて若く美しい女性がどこからともなく現れ、静かに座に着き合掌礼拝し、大聖人の説法を熱心に聴聞しはじめました。 弟子や信徒たちが見慣れないこの女性を不審に思ったので、かねてより本来の姿をご存知だった日蓮大聖人は「皆に正体を見せてあげなさい」と告げました。女性は微笑みながら「水を少し賜りとう存じます」と応えたので、大聖人は傍らにあった水差しに入った身延沢の水を女性の手のひらに一滴落としました。 すると、この美しい女性はたちまち本来の龍の姿を現じたのです。 そして、もとの美女の姿に戻り、「わたくしは七面山に住む七面天女です。法華経の守護神として、人々に心の安らぎと満足を与え続けましょう」とお誓いになると、雲に乗って七面山に飛び去っていきました。
その後、1297(永仁 5)年 9 月 19 日、六老僧の一人日朗上人と南部実長公(この当時には出家して日円上人)はついに七面山登山を果たし、七面大明神をお祀りしました。 このことより、9 月 19 日を七面山開創の日とし、毎月19日を御縁日とします。
『女人成仏とお萬の方 』
徳川家康の側室で、紀伊家の祖頼宣(よりのぶ)、水戸家の祖頼房(よりふさ)の生母 である養珠院お萬の方は法華経の熱心な信徒で、女人成仏が説かれる法華経を守護する七面山への登詣を強く願い、登拝口に程近い白糸の滝で 7 日間身を清め、ついに女性として 初めて登頂を果たしました。 ※法華経提婆達多品では女性の成仏の現証として八歳の竜女の即身成仏が説かれる。
日蓮大聖人も女人成仏を法華経が諸経より勝れている点として強調している(日蓮宗小辞典・ 法蔵館より引用、一部改変)。 (七面山HPより)
本昌寺の七⾯天⼥像は宝永2(1705)年建⽴、等⾝⼤の⼤変珍しく、美しいお姿です。